勝負見わる

黄巾党は各地で漢軍を圧倒し、それに合わせ黄巾党に加わる人員も爆発的に増えていった。
農民、元農民だった流民、賊だった者、漢朝の軍から寝返った者。
集まる人間も、黄巾党に加わる理由も様々だ。
花もボクも、あまりにも黄巾党が大きくなりすぎたことに、その統率が取り難くなっていることに危機感を覚えていた。
だから、それは良い機会ではあったのかもしれない。

「一度花殿のお手並みを拝見したい。訓練がてらの模擬戦に応じてはもらえないか」と言ってきた男がいた。
言った相手は元役人だった男で、聞いた話では家柄があまり良くはなく漢王朝下では出世が望めず、ならば反乱軍に加担し実力でのし上がろうとしたらしい。
野心家なのは良いが他人を見下す癖があり、特に花には彼女の戦果にも関わらず、面とむかって「女は飯炊きでもしておればよかろうに」と発言した男だ。

男は張宝を言いくるめ、本当に模擬戦を行うことになってしまった。
花は困った顔をしていたが、張り切ったのは晏而と季翔とボク。
ボクと晏而は件の道士様に対する発言を許してはいないし、季翔は「道士様にかっこいいところを見せる絶好の機会! 道士様が俺に惚れてしまうかも!」と意味不明の妄想をしている。

ボクと晏而は根回しをした。
花の軍として青洲兵が出ること。
花が出るまでもないため、弟子のボクが模擬戦の将となること。
花ですら侮っている男はボクなどは歯牙にもかけなかったが、青洲兵が模擬戦に出ることについては難色を示した。
黄巾党の中でも猛者揃いで知られている青洲兵が相手では、勝てないと思ったらしい。
結局男の軍は、花の軍の倍の兵を出してもよいということで納得した。

ある晴れた日、張宝はじめ渠帥たちと大勢の見物人の元、模擬戦が行われた。
男の軍は歩兵400に対し、花の軍は歩兵200。ただし、花の軍は全て青洲兵の精鋭たちだ。
馬はもったいないとのお達しで、すべて歩兵。
相手の将を打ち取れば勝ちという、単純な規定だ。
心配する花に「大丈夫だよ」と笑って亮は模擬戦に臨んだ。

騎馬はないものの、それなりの人数が激突する様はかなりの迫力だった。
地面が揺れているのではないかと思うほどの地響き。
土がもうもうと巻き上がり視界が悪くなる。
北の大地に特有の、黄色く細かい土が視界を覆う。
そんな中勇ましい雄叫びが上がり、中には悲鳴とおぼしき声も聞こえる。
鞘から刀を抜くことは許されていないが、当たり所が悪ければ骨折ぐらいはするし、打ち所が悪ければ死者が出てしまうかもしれない。
双方それなりに真剣だ。
当初は男の軍が押しているように見えた。
亮の予想通り、ただ兵を花の軍へとぶつけている。
それが正しいのだ、倍の兵力差があるのだから。青洲兵が息切れるまで、押し切ればいい。
晏而が陣頭で指揮を取り、自らも右に左に剣を振い敵をなぎ倒していくが、1人では戦況は変えられない。
男の軍の勢いに押され、じりじりと青洲兵は押され、前線が下がっていく。

亮は戦局を冷静に見ていた。
次第に、陣の最奥にいた亮の間近に、刃と刃の衝突音や兵士の荒い息遣いが聞こえてくるようになる。
敵はすぐそこまで迫っている。
そろそろだろう。
晏而が護衛にと付けてくれていた兵士に合図を送ると、兵士は銅鑼を鳴らした。
短く4回。
銅鑼の音が戦場に響き渡る。
その途端、新たな雄叫びがしたかと思うと、急に男の軍が乱れたように見えた。
無防備だった男の軍の横っ腹に、新たな部隊が突っ込んでいったのだ。
その隊を指揮していた季翔の「道士様、俺のかっこいいとこ見ていてくれ!」という声が聞こえた気がした。
その機会を逃さず晏而が「行くぞ! ついてこい!」と叫び、仲間を差し招き攻撃に転じる。
形勢は逆転した。
一度乱れた軍を立て直すことは難しい。
しかも、彼らは青洲兵とは違い、ただ命令で今回集められただけの寄せ集めの集団。
将に対する忠誠心もない。
男の軍は崩されるまま、兵たちは逃げていく。
対して青洲兵は結束強く、道士様を侮辱されたことに対する怒りは本物。
ボクの策を……というより、ボクの師匠である花を信頼し、我らの道士様のためにと1人1人が奮い立っているのだ。
今まで策とはいえ防戦を強いられていたのだ、鬱憤もたまっている。
晏而と季翔の指揮ぶりも見事だ。人格には問題あれど、彼らは戦場では頼りになる。
晏而が男の喉元に剣先を突きつけるまで、そう時間はかからなかった。

「そこまで!」
張宝の声が響き、青洲兵が勝鬨を上げる。
「ま、待て!」
男が狼狽の声を上げた。
「あれは、なんだ。伏兵などずるいではないか!」
亮が抗議の声を上げようとした時、さっと花が亮の前に立った。
「あれが倍の人数に勝つための私の弟子の策です。青洲兵はきちんと200名で戦っていました」
そう。
全員戦闘に参加すると見せかけて、その実、季翔率いる別働部隊が機をうかがっていたのだ。
男の軍が勝ちを確信し油断した瞬間、季翔は無防備な隊の側面から攻撃を仕掛けた。
季翔の突撃の速さも素晴らしかったが、その前に人数が少ないことを悟らせない晏而の指揮も見事だった。
陣を薄く横に広げ、しかも相手にそれを悟らせない。無茶な攻撃はせず防戦に徹する。
それに乾いた地面から巻き起こる土煙が視界を悪くし、それを可能にした。
士気の高い青洲兵が、亮の、いや、道士様の弟子を信頼していたからこそできる策だった。
「うむ、見事だった」
張宝がうなずき、あの男は憎々しげに花をにらんだ。
血走った目で花を見ている。
亮は気づいた。
この流れはまずい。
けれど、亮が何か言うよりも早く、花はすっと張宝の前に立った。
「けれど、彼も彼の軍も見事でした」
そう言って、にこりと微笑む。
「もう少しでこちらの軍は突破されるところでした。良い訓練になりましたね」
花の言葉に、張宝も渠帥たちも口々に声を上げた。
「うむ。惜しいところだった」
「いや、実に強かった。これならば漢軍を相手にしても引けを取らぬであろう」
花もうなずき、そして花はくるりと振り向いた。
男の軍の兵士たちに一礼をする。
「お疲れ様でした。みなさんの活躍、頼もしく思いました」
疲れ切った様子だった兵士たちが「おお!」と声を上げる。
感極まった様子で「道士様」と叫ぶ声も聞こえてきた。
花はあの男にも丁寧に頭を下げた。
「お相手、ありがとうございました。あなたの指揮もとても見事でした」
「お、おう……」
持ち上げられて悪い気はしないのだろうし、自分を讃えてくれている張宝の前で妙な態度は取れないのだろう。
しばらく奇妙な顔をしていたが、彼は持ち直した。
「いや、あなたの弟子も青洲兵もさすがでした。こちらこそありがとう」
花は微笑んで、もう一度頭を下げた。

それが事の顛末。
結局は花が勝ったのだろう。
あの男も、これでもう花にあからさまな敵対行為は取れない。
それどころか、今日の兵士たちや見物していた人たちに、花は自分の存在を印象付けることができた。
「あなたはやっぱりすごいな」
天幕内で花と二人になったときに、思わずそうつぶやいていた。
花は一瞬きょとんとして、それから首を横に振った。
「ううん、すごいのは亮くんだよ。倍の相手に勝っちゃったんだもの」
花の手が伸びて、ボクの頭に触れた。
「がんばったね。おつかれさま」
ふわふわと頭を撫でられる。
少しくすぐったい。
ああ、花はやっぱりすごいし、ずるい。
こうやってボクの心をからめ取っていく。
頭を撫でられて、子ども扱いされている不満もあるのに、それ以上に花に触れられていることがうれしいのだ。
「花。ボク、もっとがんばるから」
「うん。今でも十分だけど、ね」
「でも、もっと勉強して、大人になって、ちゃんとあなたの役に立てるようになる」
「じゃあ、私も亮くんに負けないように、もっと勉強しなくちゃ」
そう言って花は笑った。

確かにボクの策がはまり、今日の模擬戦で勝つことができた。
けれど、男の態度を変えたのは確かに花だ。
ボクはあの男の感情まで考えていなかった。
花がかばってくれなければ、あの男は完全に敵になっていたことだろう。
さらに、張宝や幹部連中それに兵士たちにまで、改めて花は自分の存在を印象付けることができた。
どこまで計算していたのか。
それともあの本に書いてあったのか。
仙女のような彼女には、こうなることが分かっていたのか。
ボクはまだまだだ。
花よりたくさん書を読んでいる。たくさん歴史を知っている。兵法書だって読んだ。
それでも花にはかなわない。
ボクはまだ学ばなければいけない。もっと成長しなければならない。
ボクの目の前で微笑んでくれる花のために。
いつか、花の視線が、花の師匠からボクに向けられるようになるために。
花に愛してもらえるように、ボクは成長をしないといけない。
だからそれまで、どうかそばにいさせて。
このままあなたとずっと一緒に。

「花、ボク、さすがに疲れちゃったかも」
子ども扱いをされることは嫌いだけれど、それを利用することは容易い。
あくびをしながら花にもたれかかって、その腕の中で目を閉じる。
「え、亮くん?! 寝るのならちゃんと布団で!」
驚く声を無視して花の身体に抱きつくと、花は諦めたのか、やさしく背中を撫でてくれた。
「大活躍だったもんね。亮くん、おつかれさま」
そのやさしい声を聴いて、本当に頭が重くなってくるのを感じた。
ごめん、少しだけ。
花のぬくもりを感じながら、亮はゆっくりと眠りに落ちていった。


END.

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